2022/06/16 17:07

「目先の苦のみに眼をやるならば、他者の苦しみは自分に関係ないように感じますが、我執で自分のことのみを考えて、他者に思い遣りを持たないならば、必ず将来、自分の苦しみとして還ってくるのです。」  ダライ・ラマ14世

 本書は、八世紀にインドの伝説的な高僧シャンティーデーヴァが著した「入菩薩行論」という典籍をベースに、現代に生きる私達にも理解しやすい言葉を選び、仏教のエッセンスを解き明かした入門書である。
 「入菩薩行論」は、チベットにおいては、千年にわたって大乗仏教を学ぶうえでの基本典籍とされ、僧侶のみならず在家の人々にも広く読み継がれてきた。チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ十四世が、説法会で最も多く引用したことから、今日では世界中で知られることとなった。
 著者の平岡宏一は、我が国を代表するチベット仏教の研究者である。大学院在学中に、インドに亡命したチベット密教の総本山ギュメ寺に留学し、外国人として初の正式伝授者の証明を受けた。帰国後もチベット人の高僧を師として学び、ダライ・ラマ十四世の来日時の説法会においては、幾度も通訳を努めている。
 著者は冒頭で、仏教とそれ以外の世界宗教との違いを定義する。キリスト教やイスラム教が絶対的な創造主を想定し、世界も人間もその神によって創られ、支配されるていると考えるのに対し、仏教は創造主も世界の始まりも説かない。生きとし生けるものはすべて、始まりも終わりもない世界の中で、生まれ変わり死にかわる。この世の様々な出来事は因果の法則によって成り立っており、良い行い(善業)には良い結果(善果)が、悪い行い(悪業)には悪い結果(悪果)が訪れる。今生でおこることは、自分が前世において積んだ業の報いであって、幸運も不運もすべからく過去の自分の行いの結果であり、決して神の意思によるものではない。
 神に定められたものではないからこそ、運命は自分の心次第で、善くも悪くも変えることができる。本書において幾度も登場する「仏教はモチベーションの宗教である」という言葉は、大乗仏教の性質を知る上での重要なキーワードである。
 シャンティデーヴァが指摘するように、

「私たちは、高い者には嫉妬をし、同等のものには競争心。低い者には慢心を起こし、称賛されれば傲慢になる。 避難されれば、怒りを生じる。」(入菩薩行論・第八章)

 こうした心のはたらきは、自己愛や自分への執着(我執)によって生じ、多くのこの世の苦しみの基となっている。こうした自らの心の弱さや脆さを内省し、慈悲(他者の苦しみを除き、幸せを与えたいと願う気持ち)や、利他(誰かの役に立ちたいと思う気持ち)へと心のベクトルを変え、やがて菩薩心(生きとし生けるものすべてのものを救いたいと願う気持ち)を喚起する心のトレーニング法が、本書には説かれている。

「全ては因果応報です。善業を積むことなく、いくら祈願だけしても幸せになれません。そして善業を積む対象は無限に存在する他者なのです。」(本書P.233)

 1000年以上前に著された仏教の典籍を、21世紀を生きる現代の価値感や生活の中に引き寄せ、身近な喩えを駆使して、分かり易く解き明かしてゆく書法は、教育者としての一面も持つ平岡の特意とするところである。世代を超えて、多くのひとにお勧めしたい一冊である。

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書籍名:運命を好転させる隠れた教え  チベット仏教入門
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著名:平岡 宏一
出版社 幻冬社
初版:2021年